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杉並エリア <旧陸軍遺構と空襲被害>
空襲痕の残る古民家
1945年上井草の畑に落ちた爆弾の破片で傷ついた柱が残っている古民家。2021年4月、「すぎのこ農園」の施設としてここへ移築された。
すぎなみ学俱楽部の紹介記事
https://www.suginamigaku.org/2022/01/suginokonouen.html柱があるのは和室の床の間。
屋内に立ち入ることはできないため、縁側か土間から撮影してください。
柱に傷がついた経緯は当サイトの記事
『家を突き抜けた爆弾破片<上井草>』
https://suginamilibrary-on-the-pacificwar.com/evidence_kamiigusa01毎月一回、『すぎのこマルシェ』という地元で採れた野菜などの即売会が開催され、季節に合わせた収穫体験も人気。
憲兵が太さを測った欅
現在中瀬中学校が建っている場所には、太平洋戦争が終わるまでは高射砲の陣地がありました。
一帯ではこの高射砲の砲撃の邪魔になる樹木が伐採の対象となり、憲兵が3人訪れて太さや高さなどを測定しましたが、この欅は切り倒されずに済みました。『証言 向井草高射砲陣地の回想』という書籍によると、JR中央線を挟んだ南側、天祖神社の杉が伐採されたと書かれています。
現在は、武蔵野の原風景を伝える大木として、杉並区の保護樹木に指定されています。中島飛行機東京工場跡地
『戦後70年事業 区民の戦争戦災証言記録集』(P72)
https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/022/256/06_7275.pdf陸軍境界石
軍用地であったことを示す陸軍境界石。
住宅街で細い路地なので、撮影の際は車や他の歩行者の迷惑にならないよう、気を付けましょう。この辺りからは他にも複数の境界石が見つかっています。興味のある人は探してみよう。陸軍通信学校跡地
国立公文書館アジア歴史資料センター
https://www.jacar.go.jp/glossary/term4/0010-0040-0140.html現在馬橋公園になっている場所は、軍用地でした。園の入り口付近には「陸軍」と刻まれた境界石が残っています。
気象神社
高円寺氷川神社ウェブサイトhttps://koenji-hikawa.com/kisho_jinja/
荻外荘
杉並区ウェブサイト『荻外荘の歴史』
https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/tekigaiso/history/1042922.html太平洋戦争中、総理大臣を務めた近衛文麿の私邸。太平洋戦争に大きく関わる「荻窪会談」が行われました。本邸は一般公開に向けて整備中で、現在は立ち入りできません。
柵越しに外観を撮影してください。浴風会
『戦後70年事業 区民の戦争戦災証言記録集』(P24)
https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/022/256/22-27section2.pdf参考書籍『原爆投下 黙殺された極秘情報』松木 秀文・著、 夜久 恭裕・著
1986年不発弾発見場所
『戦後70年事業 区民の戦争戦災証言記録集』(P24)
https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/022/256/22-27section2.pdf浴風会の敷地北側、現在自転車置き場になっている場所の下の傾斜附近。
発見当時の職員の見解では、「1945年5月の空襲で敷地内に散らばった焼夷弾の破片を、まとめて片づけたと聞いているのでそれだろう」とのこと。自衛隊が派遣されたとのことだが、30年以上前の出来事であるため自衛隊にはその記録は残っておらず、杉並区にもこの日の不発弾撤去は記録されていないため、建設会社が直接依頼したのか、警察が依頼したのか自衛隊派遣の経緯は不明。この時発見された焼夷弾は、大きさとメモに残された形状からM47焼夷弾と思われる。
参考書籍『日本の都市を焼き尽くせ!』工藤洋三・著
久我山高射砲陣地
『戦後70年事業 区民の戦争戦災証言記録集』(P23)
https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/022/256/22-27section2.pdf文中「当時最新鋭の高性能高射砲」は、「五式15センチ高射砲」。国内で二門生産され、1945年の5月頃、両方とも久我山に設置された。
設置場所の特定【『久我山の十五糎高射砲』野崎健次/国本康文・著】より
2021年不発弾発見場所
2021年10月9日、工事現場から太平洋戦争時のものと思われる不発弾が発見された。
区としての不発弾処理はおよそ30年ぶりとのこと。杉並区の不発弾処理の記録。杉並区危機管理室危機管理対策課が対応した。
https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/064/367/saitai20211129_1.pdfTBS・東京・杉並区の住宅街で「不発弾」撤去作業 約1時間で終了
撤去された不発弾は、動画中の形状から見てM47焼夷弾。尖っている部分が尻尾で、フィンが外れた状態。丸みを帯びている方が先端で、信管が付いていた。
東京大空襲で大量に投下されたM69焼夷弾に比べて大型のもの。
参考書籍『日本の都市を焼き尽くせ!』工藤洋三・著
杉並の歴史がわかる博物館
- 杉並区立郷土博物館〒168-0061 東京都杉並区大宮1-20-8
- 杉並区立郷土博物館分館〒167-0032 東京都杉並区天沼3-23-1
新宿エリア <旧陸軍遺構とドゥーリットル空襲・山の手空襲>
新宿の歴史がわかる博物館
- 新宿区立新宿歴史博物館〒160-0008 東京都新宿区四谷三栄町12-16
両国エリア <東京大空襲>
両国の歴史がわかる博物館
- 江戸東京博物館〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1
- すみだ郷土文化資料館〒131-0033 東京都墨田区向島2-3-5
実施に際してのお願い
途中、疲れたり気分が悪くなったりしたら無理して続けず休むこと。
きまりを守って楽しい夏休みにしよう!
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